カテゴリ
以前の記事
2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 フォロー中のブログ
リンクとか
リンク
お知り合い GREENLEAF* 極ひよ SH関連 Sound Horizon本家 Sound Horizon公式 クロニカ学習帳 Aramari's Homepage yokopeko IIL 絶賛応援中……? バナーは200*40でも大きいのでちょっと縮小してます。 最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
「この世は所詮楽園の代用品でしかないのなら、罪深き者は全て、等しく灰に還るがいい」
について。 ・この世は所詮楽園の代用品でしかない キリスト教の世界では、アダムとイブが最初の人類になっています。そしてご存知の通り、彼らは楽園を追放され、エデンの東に住むようになりました。つまり、「エデンの東」は、エデンに住むことができなくなった最初の人類が住むようになった代わりの土地ということですね。それからアダムとイブは子をもうけ、人類の繁栄に繋がっていくわけです。このことから、我々が住んでいるこの世界は「エデンの東」である、と考えることができます。よって、この世は『楽園の代用品』でしかない、ということになります。 ・罪深きものは全て、等しく灰に還るがいい キリスト教には「灰の水曜日」がありますし、全ての人は灰より生まれて灰に帰るという考えのはずですから、ここはちょっとよくわかりませんでした。よく耳にする「灰は灰に、塵は塵に」というのはキリスト教の葬儀の時に用いられていた言葉だそうですし。 で、色々考えた結果の暫定的な結論。そもそもキリスト教ではイエスは人類全ての罪を背負って死にました。また、イエスは自分をぶどうの木に例えて次のようにいいました。「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう」つまり、罪深い村人達=イエスにつながっていないものは焼かれて灰に帰れ、ということかなーと。あるいは魔女裁判で魔女(罪深い女)を火刑にするのならお前達も罪深いものなのだから火刑に処され灰に帰れ、ということかもしれません。 そもそもアダムとイブからして罪人、罪深い者なわけで、楽園を追放された結果人間は死ぬ=灰に帰るようになったのですけどね。まぁ、人間皆罪人だから灰に帰れというのはおかしいですから、単純に呼んで字の如く、罪人は灰に帰れなのかもしれません。しかしこの台詞、前後の繋がりがよくわかりません。繋がってないような気もするのですが。
by red_space
| 2005-06-06 22:31
| SH考察
|
ファン申請 |
||